ブログ中小企業経営

 

「やって見せて、言って聞かせて、させて見せ、褒めてやらねば部下は動かじ」山本五十六元帥の言葉である。人は褒められることにより認められたという気持ちになりやる気が出て成長するということであり、管理者研修などでこの言葉を引用する。

 

一方、「谷底から這い上がってきた獅子を育てる」という言葉がある。獅子は生まれてきた子獅子を谷底に落としそこから這い上がってきたものだけを育てるという意味で、甘やかさないで試練を課し育てるということである。

 

どちらの育て方が良いかは一概に言えない。

 

厳しい課題を課し、達成できないと「駄目だ、駄目だ」というやり方では、滅入ってしまい、やる気がなくなり、自信喪失につながる。植物に対しても温かい言葉をかけ育てれば花を咲かせ、身を実らせるが、きつい言葉をかければ成長が止まってしまうということを聞く。

 

会社等の組織の階層が上がるにつれて、褒める、手とり足とりによる指導のみではトップマネジメント層にふさわしい器に育つとは言い難い。厳しい命題、課題を与え、その命題、課題を達成させるための方法を自ら考え、実行させるよう仕向けることが必要である。会社のトップがその地位に着くまで、先人から厳しい試練を受け血のにじむような努力をし、自分自身の経営手法を体得したことを、「私の履歴書等」で読む。

 

事業承継には、公平無私の立場で、会社の存在意義、経営者としてのあるべき姿を自覚させることから

始めていきたい。そして自分自身も原点に還った経営を目指していきたい。

後継者育成~ほめて育てるか鍛えて育てるか 【長屋勝彦】

2012/05/14
長屋 勝彦

 

「やって見せて、言って聞かせて、させて見せ、褒めてやらねば部下は動かじ」山本五十六元帥の言葉である。人は褒められることにより認められたという気持ちになりやる気が出て成長するということであり、管理者研修などでこの言葉を引用する。

 

一方、「谷底から這い上がってきた獅子を育てる」という言葉がある。獅子は生まれてきた子獅子を谷底に落としそこから這い上がってきたものだけを育てるという意味で、甘やかさないで試練を課し育てるということである。

 

どちらの育て方が良いかは一概に言えない。

 

厳しい課題を課し、達成できないと「駄目だ、駄目だ」というやり方では、滅入ってしまい、やる気がなくなり、自信喪失につながる。植物に対しても温かい言葉をかけ育てれば花を咲かせ、身を実らせるが、きつい言葉をかければ成長が止まってしまうということを聞く。

 

会社等の組織の階層が上がるにつれて、褒める、手とり足とりによる指導のみではトップマネジメント層にふさわしい器に育つとは言い難い。厳しい命題、課題を与え、その命題、課題を達成させるための方法を自ら考え、実行させるよう仕向けることが必要である。会社のトップがその地位に着くまで、先人から厳しい試練を受け血のにじむような努力をし、自分自身の経営手法を体得したことを、「私の履歴書等」で読む。

 

事業承継には、公平無私の立場で、会社の存在意義、経営者としてのあるべき姿を自覚させることから

始めていきたい。そして自分自身も原点に還った経営を目指していきたい。

想定外を想定する 【遠藤弘之】

2012/04/16
遠藤 弘之

この言葉は、この3月末頃の新聞などに載った言葉である。
昨年の大震災と原発への対応問題への反省から、国民に今後の意識変革を促す意味があると考えられる。 特に、危機・リスクマネジメントなどに興味のある人たちには考えさせられるところが多い言葉である。
一般に、仕事には、目的があり、それを達成するための策として強み弱みも考える上に、更に色々なリスクも考えていく必要がある。そのリスク発生の可能性・頻度・起きた時の影響度なども出来うる限り客観的に想定し、対応策には優先順位が付けられる。
しかし、優先順位が低いと、費用対効果とか効率性などから、具体的な対応策は計らない場合が多い。が、多少のリスクを意識して、注意を怠らないようにする、つまり観察を継続することが大切になる。民間会社の経験からすると観察する分担を如何にするのかという課題はあるが、観察していこうとする意識があり(想定外に置かない)、少しでも状況変化があれば、優先順位を見直す姿勢があった。従って、リーダーの役割は大変であった。
今回の大震災や原発事故の問題の場合、リスクは認識されていたようである。が、頻度、可能性が低いこともあり、効率性などから想定外に置かれたのではと危惧される。
ここでの問題は、今回の言葉の中で「想定外」は、優先順位がかなり低いリスクを本当に想定外に置いてしまったという判断の扱い方にあるように思う。つまり、限られた資源と時間の使い方に対し、効率という判断が優先されたのではないのか。 
皆さんは、「想定外を想定する」という言葉には、納得される部分も多いとは思うが、何故今回のように想定してしまったのかをもう一度考えてみることも大切なことではないか。

凡事徹底 【岩本 亨】

2012/04/02
岩本 亨

今日4月2日は、新しい年度が始まり、多くの人にとって最初の出勤日である。東京は良い天気に恵まれ、桜も三分咲き。日経新聞の一面は「景気復調、内需が支え」というTOP記事。震災の影響もあり、漂っていた沈滞ムードが、薄れていくことを祈りたい。

私自身、研修の講師をしていても、コンサル案件で社長と話をしていても、痛感することは「当たり前のことが当たり前にできる」人が、なぜこんなに少ないのか?ということ。逆に言えば、当たり前のこと(凡事)を当たり前にでき(徹底)さえすれば、できるビジネスマンやできる経営者になれる可能性が高いということか?

では、ビジネスマンにとっての「凡事徹底」とは何か? まずは身だしなみをきちんと清潔にすること、あいさつをすること、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)の徹底、約束を守ること・・・。いくら仕事ができても、これらのことができなければ、スタートラインに立つことができない。

身だしなみは、スーツやシャツ・ブラウス、ネクタイや靴下・ストッキング等、服装のことだと思っている人が多い。確かにそれも大切だが、私は「靴」に気を付けている。靴がきれいであれば、その人は信用できると思う。違う意味で使われるが「足元を見る」という言葉もある。靴にまで気配りできる人は、服装全体もきちんとしている。きっと仕事も着実で、成果を上げてくれると期待できる。いささか言い過ぎかもしれないが、少なくとも私自身はそう思っている。

昨日、自分の靴6足を磨いた。たまに家人に頼むこともあるが、自分の靴は自分で磨くのが基本だと考えている。靴に付いているホコリやゴミを落とし、靴クリームをまんべんなく塗り、磨き上げる。プロセスを楽しみながら集中して磨いていると、意識するともなく、仕事について振り返りをしたり、工夫を思いついたり、アイデアが浮かんだりする。次の日、ピカピカの靴を履くと、気分も新たになり、仕事への意欲が湧いてくるのを感じる。

「凡事徹底」は、一つ一つのことは誰にでもできること。自分にとっての「凡事」全てを常にし続けることは非常に難しい。ただし、徹底できていれば、「凡事」一つ一つを実行した効果だけでなく、「凡事」すべてが、「徹底」できていることによる自信が生じ、仕事にもそれが反映されるという好循環が実現できるのであろう。私自身にとっても、目指すべき目標である。

数字を追うな、良い仕事を狙え 【遠藤弘之】

2012/03/19
遠藤 弘之

この期末を迎えた頃になると、“この1年間”の自分等の仕事の結果はどうだったのかということが気になりだし始める。
今考えると、人事評価は、バブル崩壊前は、能力評価システムが主流であった。が、バブル崩壊後は、結果・成果(数字)を追い求める傾向が強く、所謂 成果主義システムに走っていた。
従って、人事評価では、業績評価部分が多くを占める傾向になり、期初に描いた目標に対し、その業績結果(成果)が得られず、何を評価をするのかという思いが、心に沸いてきていたことがあった。

とにかく当時、目標達成度を評価する上で、目標内容に数字を入れて、見定めようとする傾向が強かった。一般的には、営業関係では売上額、販売量などが、製造関係では歩留(収率、製造量)や合理化(人員削減、工程見直しなど)などの数字が。それらを期初の目標として、上司と自分との間で決めて目標としたりしていた。ところが自分がいた研究開発関係は目標も数字にし難く、毎回頭を悩ませていた。

が、商品化や完成度が易しい開発目標は、競争力も低く、販売に結びついたとしても、組織全体への影響も低く、評価点は良いが、これで良いのかと思いながらの評価となる時もあった。 
以前にもブログに書いたが、20年間も同じテーマを取り上げ続け、グローバルな事業に育て上げるには、そこまでのプロセス(進め方)に焦点を当てて評価(所謂、情意評価等)しないと良い結果に結び付けられなかったのではないのかということを書いたことがあった。

昨今は、業種や業務により、業績評価の割合は異なるだろうが、大事なことは、組織全体の目標に取って意味のある良い仕事(業務)をやり続けさせることにあると思う。

特に、最近の変化が激しく不確定な時代では、地味ではあるが、“良い仕事“を意識していくことが大切であろう。どの業種や分野でも同じではないのかと思う。

当事者意識 【岩本 亨】

2012/03/05
岩本 亨

警視庁の調査によると、首都圏で大地震が起こった時に「必ず帰宅する」と回答した人は、45%に上った。理由の一番は、「家族が心配だから」。働き盛りの父親が多いのか、「家族は自分が守る」という当事者意識を強く持っている様子が窺える結果だと感じた。

私は「岩本組」という、中小企業診断士の研究会の「組長」としても、5年近く活動している。現在は50人ほどの「組員」がいる。2ヶ月に一度の定例会と、個別にチームを組んでの中小企業支援活動が主な活動である。参加している「組員」の相互啓発と自己研鑽を目的とした、個々人の自主性をベースとした研究会である。最近、活発に活動する組員と、そうでない組員が明確に分かれてきた。定例会に参加する顔触れも固定化傾向である。今月17日に予定している定例会への参加予定者も10名ほどしかいない。この状況に対して、つい最近「自主性がベースの組活動なので、当事者意識を持ってほしいと」メッセージを送ったばかりである。

私自身がコンサルタントとして、経営が厳しくなった企業の相談に乗ることも多い。経営者と話していると、二つに分類できることがわかる。危機感を前面に表して「何とかしたい」と必死な人と、「本当に厳しさがわかっているのか?」とこちらが心配になるような人とである。従業員も危機感を持っている人と、そうでない人がはっきりしている。

先日面白い話を聞いた。とあるショッピングセンターにある時計屋さん。愛想の良い店員Aさんが、時計を買った時や、修理をお願いした時など、値引きしてくれたり、おまけをくれたり、何かとサービスしてくれていた。それを気に入って利用していた人も多かったようだ。ところがそのお店は閉店した。2ヶ月後、Aさんが経営者としてお店を新規開店した。お店の雰囲気はほとんど前と変わらず、Aさんの愛想も良かった。ただ、サービスに対しては、非常にシビアになった。少しでも利益確保しようという一生懸命さが伝わってくる。一店員の頃とは全く変わった。自分で経営するのとそうでないのとの違い。まさに当事者意識の差であろう。

当事者意識の希薄な人に、それを持ってもらうこと。組織の中では、リーダーの永遠の悩みであろう。実際に個人がその環境に置かれれば、持たざるを得なくなる。ではいかにしてそれを実現するか・・・? 私自身、独立して初めてすべてが自己責任の状態になったことに気づき、当事者意識を強くした経験がある。当事者意識を持って主体的に行動する方が、充実した人生を送れると、個人的には思っている。