ブログ岩本亨

先日、NHKの「プロフェッショナルの流儀」を観た。紹介された山形県酒田市の歯科医 熊谷崇氏が、番組の中で「ライセンスを持つ者の責任」について話していた。

201341日付のこのブログで、国家資格「中小企業診断士」登録したばかりの人たちに、以下のメッセージを送っていることを取り上げた。

「中小企業診断士に期待されているのは、中小企業を支援することによってその会社を発展させ、ひいては日本経済の発展に貢献することです。皆さんは資格のミッションを良く認識して、自らの行動を考えてください。あなたが合格したために不合格になった方がいます。合格したあなたがミッション(使命)を果たさないのであれば、それは一種の背任行為だと私は思います。合格した人には合格した責任があります。その責任を意識して活動してください」と。

このメッセージは、「資格の学校TAC」を運営するTAC株式会社の創業者でCEOの斎藤博明氏のメッセージを参考にしたものだ。TACのホームページをのぞいてみると、以下のように紹介されている。

TACの企業理念は、“プロフェッション”としての人材の養成です。
プロフェッションprofessionとは、英語のprofess=「神の前で宣言する」を語源とし、中世ヨーロッパでは神に誓いを立てて従事する職業として、神父や法律家、会計士、医者、教師、技術者などの知識専門家を指していました。そして神の詔命によってプロフェッションとなった人々には、社会や市民に対する大きな責任と厳しい倫理観が求められました。

一方、ヨーロッパの貴族には「ノーブレスオブリージュ」という教えがある。「貴族には生まれながらにして果たすべき義務がある。貴族としてふさわしい行動を取りなさい」と言うものである。

ウィキペディアによると、ファニー・ケンブルが1837年に手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けることはしばしばである。

私自身、自分は何のためにこの「資格」を取得したのか?を折に触れ自問している。「資格」を「仕事」と置き換えることもある。その問いは、この仕事を通して、どのように世の中に貢献するのか?ということにつながる。

皆さんも秋の夜長に考えてみませんか?考えすぎると眠れなくなるかもしれませんが・・・。

資格を持つ者の責任 【岩本 亨】

2014/11/03
岩本 亨

先日、NHKの「プロフェッショナルの流儀」を観た。紹介された山形県酒田市の歯科医 熊谷崇氏が、番組の中で「ライセンスを持つ者の責任」について話していた。

201341日付のこのブログで、国家資格「中小企業診断士」登録したばかりの人たちに、以下のメッセージを送っていることを取り上げた。

「中小企業診断士に期待されているのは、中小企業を支援することによってその会社を発展させ、ひいては日本経済の発展に貢献することです。皆さんは資格のミッションを良く認識して、自らの行動を考えてください。あなたが合格したために不合格になった方がいます。合格したあなたがミッション(使命)を果たさないのであれば、それは一種の背任行為だと私は思います。合格した人には合格した責任があります。その責任を意識して活動してください」と。

このメッセージは、「資格の学校TAC」を運営するTAC株式会社の創業者でCEOの斎藤博明氏のメッセージを参考にしたものだ。TACのホームページをのぞいてみると、以下のように紹介されている。

TACの企業理念は、“プロフェッション”としての人材の養成です。
プロフェッションprofessionとは、英語のprofess=「神の前で宣言する」を語源とし、中世ヨーロッパでは神に誓いを立てて従事する職業として、神父や法律家、会計士、医者、教師、技術者などの知識専門家を指していました。そして神の詔命によってプロフェッションとなった人々には、社会や市民に対する大きな責任と厳しい倫理観が求められました。

一方、ヨーロッパの貴族には「ノーブレスオブリージュ」という教えがある。「貴族には生まれながらにして果たすべき義務がある。貴族としてふさわしい行動を取りなさい」と言うものである。

ウィキペディアによると、ファニー・ケンブルが1837年に手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けることはしばしばである。

私自身、自分は何のためにこの「資格」を取得したのか?を折に触れ自問している。「資格」を「仕事」と置き換えることもある。その問いは、この仕事を通して、どのように世の中に貢献するのか?ということにつながる。

皆さんも秋の夜長に考えてみませんか?考えすぎると眠れなくなるかもしれませんが・・・。

私は親不孝者・・・? 【岩本 亨】

2014/10/06
岩本 亨

先日、鳥取県米子市近郊の企業支援の為に出張した。次の日、鳥取市の金融機関本部を訪問して、その日のうちに帰京する予定だった。急きょ翌日に山口県山口市の支援先に来て欲しいとの依頼があり、対応した。


鳥取市で仕事が終わったのが15:00前。西に向かってJR特急に乗っても目的地に着けない。途中の島根県出雲市駅で降りてレンタカーを借り、実家で一泊して翌日朝8:06発のJR特急で山口に向かった。

実家がJR山陰線から離れた山間なので車でないとたどり着けないのと、レンタカー屋さんが少なく、出雲市駅の西隣の店舗は、約100㎞離れた浜田駅にしかないのでそのようにした。

実家の母に電話して事情を話し、泊めて欲しいとお願いした。母は喜んでくれた(ように私には感じられた)。


そんな話を友人にしたところ、「お母さんも大変なんじゃないの? 負担を掛けていることも考えた方がいいんじゃない?」と反応された。

母は昨年体調を崩してしばらく入退院を繰り返していた時期があった。その時、「島根県に出張するので、お見舞いに寄るよ」と言うと、「家に居るけど、元気が出なくて、世話をしてあげられないから」と断られたことがあった。


今まで「母の負担」を考えたことが無く、息子である自分が実家に行けば喜んでくれるとだけ考えていた。母は10月が誕生日で78歳になる。お蔭さまで今年に入ってからは元気を回復している。

今後は「負担」と「喜び」のバランスを良く考えながら行動することにしなければ・・・。

親孝行を気取っていたが、とんでもない親不孝だったのかもしれないと反省した。

YCSの掟 【岩本 亨】

2014/09/01
岩本 亨

今年5月のこのブログにも書いたが、独立を決意した頃、先輩から薦められ、中小企業診断士の勉強会である「YCS(安田コンサルティングセミナー)」に20046月から参加した。主宰者の安田平八先生は、一昨年の6月に他界された。最近になって、「YCSのOBの方々の絆を確認する機会を持たないか?」という話が出てきた。それを実現しようという動きに関わっていることもあり、当時を振り返ってみた。


YCSには3つの掟がある。


◎挨拶を心掛けよう。コミュニケーションは挨拶から。


◎相手を褒めよう。良い点を見出すこと。


◎約束を守ろう。納期を守ることは信用構築に繋がる。


以上である。非常にシンプルだが、独立して仕事をするようになって、改めてその大切さを痛感する。

ごくごく当たり前のことだが、できている人は少ないのではなかろうか? 私もまだまだだと感じることが多い。皆さんは如何ですか?


人と人とのつながりの中で、挨拶を意識し始めたのはこの掟がきっかけだったかもしれない。独立前に比べると、断然積極的に挨拶するようになった。お客様にお会いした時の、最初の一言が挨拶。初対面でも第一印象が重要。明るい挨拶は、仕事を円滑にする。体験的にそう感じる。


相手を褒めることは難しい。私は未だに苦手だが、褒められると私も嬉しくなる。モチベーションが上がる。それが分かっているのならそのようにすれば良いのに、なかなかできない。私自身、人前ではあがってしまって、きちんとしゃべれなかった。YCSのカリキュラムにプレゼンテーションをして、お互いに評価しあう講座があった。その際、自分自身では「しどろもどろでうまくできなかった」と感じていたのに、異口同音に、「堂々としていて説得力がある」と褒められた。どうやら「いくら自分がドキドキして話していても、見ている方からはそのように感じられていないようだ」と気付き、以来人前で話すことが苦痛ではなくなった。褒めることの効用を実体験したということである。


約束を守ること。子供の頃からそう教えられている。100%完璧にできてはいない。不可抗力でできないこともあるかもしれないが、生きていく上で、信用を構築しようとした時に、重要なことだ。仕事の納期を守ることは、関係者にストレスを与えないことに直結する。最近私は、いろいろな専門家の方々と仕事をすることが多い。一つの会社の支援を複数の専門家でしていると、納期厳守がどれだけ大切かを思い知らされる。自分が遅れれば、成果物の納期はそれ以上に遅れてしまう。それを挽回しようとすると、関わっている人の多くに、余分な負荷がかかってしまう。納期を守っていればかからなかったであろう負荷がである。そうなると「あなたとは一緒に仕事をしたくない」と言われてしまうのだ。仕事を増やしたい人はこんなことしたら命とりである。恐ろしいことだ・・・。


「YCSの掟」の意味を一つ一つ考えてみる良い機会になった。皆さんも掟に照らして自分の行動を振り返ってみませんか?

現場重視の研修・セミナーについてのこだわり 【岩本 亨】

2014/08/09
岩本 亨

昨日(平成2688日)、米子商工会議所で「担当者の仕事の仕方を変える!リーダーのための日常業務改善研修」の講師を務めた。昨年2月には同会議所で主に経営者を対象にした「事例に学ぶ!!失敗企業と成功企業の分岐点」セミナーの講師を務めている。前者は弊社(合同会社産業経営研究所)として、後者は、私自身が組合員でもあるCRC(企業再建・承継コンサルタント協同組合)山陰推進局として受託したものである。


一見、関連性の薄いテーマと思われるかもしれないが、実は共通点がある。それは、現場の活動をベースに内容を構成していること。現場を理解せずに、理論のみを講義することもできる。しかし、それだと知的好奇心を満たすことはできても、具体的にどのように仕事に活かせば良いのかが分かりにくい。

 

昨日のようなノウハウ習得を目的とする研修では、ツールの活用を体験することにこだわっている。改善のためのツールを、理論的に説明してもほとんど仕事で使えないのではないだろうか。明日の仕事からすぐに活用するためには、中途半端な状態でも使ってみることが大事だと信じている。それを職場で試してみて、何度も使っていくうちに、活用スキルも上がり、身に付いていくものだと思う。

 

取り上げる事例は、日常に現場で良く起こること。または身近でイメージしやすいこと。短時間に体験しようとするので、消化不良になってしまう場合もあるかもしれないが、それでも使ってみることが、明日からの活用につながると考えている。

日本経済のために! 【岩本 亨】

2014/07/07
岩本 亨

私は中小企業診断士という国家資格を持って、中小企業支援を主要テーマの一つとして日々活動している。

企業再建・承継コンサルタント協同組合(CRC)にも所属し、一週間のうち5日ほど中小企業の経営再建支援で、19県、東海4県、中国5県の合計19都県を飛び回っている。

先日、会食の際にたまたま隣に座った中小企業の社長と、「何を目的に仕事をするのか?」という話になった。私は大真面目に「日本経済の持続・発展のため」と自分の考えを素直に発した。するとその社長は「大ぼらを吹くのもいい加減にした方が良い」と反論した。

私自身、微力ながら中小企業の経営改善・再建に寄与することを通して、地域経済の持続・発展に貢献していると確信している。その積み重ねは間違いなく日本経済の為になっていると思っている。

一方で社長は、自分の会社の事業に命がけで取り組んでいる。それは従業員の為であり、取引先の為であり、自分の為でもある。視点を代えればそれが地域経済の持続・発展に貢献し、日本経済を支えているとも言える。

日々の仕事に集中すればそんなこと考える余裕はないのかもしれない。しかし、結果的には行きつく先は同じである。意識せずともそのような仕事をたゆまず続けていけば、いつかは同じところに向かっていたことが認識できると思う。いずれにしても大事なことは一所懸命ということになるのかもしれない。