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絆の喪失~後輩の死去に際して~ 【長屋勝彦】

2013/03/11
長屋 勝彦

出張先から大学時代の先輩のNさんから後輩S君の死去の報を聞いた。

後輩とは部活として能楽部で宝生流の謡曲に明け暮れていた時の、2年下の後輩である。学部は、小生は商学部であるが、S君は文理学部で数学を専攻していた。授業が終わると部室に飛び込み、軽く唸り、グランドでソフトボールをしていた。能楽クラブで過ごしたのは、謡曲が好きだということより、部室が畳の部屋であり、隣の部屋が囲碁クラブ、部室の近くにグランドがあるということもあり、気軽に寛げるからであった。

 

卒業後も、S君は小生の就職した会社の工場(当時工場勤務)を訪ねてきてくれたり、小生が本社(東京)転勤後も時々会い、仕事について議論をする間柄である。又、本社転勤後しばらくの間S君の紹介で大学の数学の教授のゼミに確率論(待ち行列)の授業を受けたこともある。Nさん、S君は議論好きで、いい意味で理論家であり、それでいてさっぱりしたところがあり、妙に気があった。違うところは、NさんとS君は謡が好きであり、卒業後、謡の免許皆伝に相当する職分の資格を習得し、現在に至るまで謡を続けているが、入社後しばらくは続けていたが、それ以後は途絶えている。

 

小生は仕事の関係上通夜のみに参列させていただいたが、S君は会社を退職後も、ボランティア活動として世田谷区役所の仕事に係っていたこともあり、謡曲関係の方、ボランティア関係の方が大勢参列された。印象に残ったのは通夜の最後に謡曲クラブの方全員でS君の霊前で謡曲を謡ったことである。又、気丈な態度でふるまっておられたご令室様、ご母堂様のお姿も印象に残った。

 

アンドリューカーネギーの創造性開発に関する話で、創造性を阻害する要因として、貧困の恐怖、友情を含め愛情喪失の恐怖、死の恐怖があるが、死の恐怖に対し、死については自分がしばらく眠るときと考えるか、どこかの世界へ行くと考えると、気が楽になるということを聞いた。要するに死については避けて通れないことであり、深く考えそれ以上悩まないということの様である。

 

自分の死生観は、現に生きて自分のミッションを果たしつくすことであると考えている。通夜の席ではNさんを始め大学の先輩と世間話をした。この年になってもやはり先輩と話をしていると色々なアドバイスがもらえ、頼りになると感じた。このようなめぐり合いを作ってくれたS君に感謝し帰途に着いた。

以上