ブログ中小企業診断士

 古代インドでは人生を学生期(~25歳)、家住期(25歳~50歳)、林住期(50歳~75歳)、遊行期(75歳~)の四つに区分しそれぞれに応じた生き方を示している。

 中国では人生を四季に例え青春(16歳~30歳前半)、朱夏(30歳前半~50歳前半)、白秋(50歳前半~60歳前半)、玄冬(60歳前半以降)と季節ごとに色をつけている。

 最近読んだ五木寛之氏の「百歳人生を生きるヒント」では人生を登山に例え、40歳代までを登山、50歳以降を下山とし50歳代、60歳代、70歳代、80歳代の生き方(下山の仕方)について説いている。

 ちなみに、50歳代は立ち止まって決断する時期、60歳代は決断を実行に移す時期、70歳代はその成果を楽しむ時期、80歳代以降は自分ファーストに生きる時期、としている。

 五木寛之氏の著書にあるように、2007年に生まれた人の平均余命は107歳であり、同氏の年齢の84歳でも100歳まで生きる確率は3%である。このことからも、同氏の説には納得性がある。

 例えば、40歳代までは自分の将来の目標、50歳代は決断する条件というように、年齢に関係なくすべての人はこれからの自分の人生を考えることは意味がある。

 翻って、自分自身を振り返ると、定年(当時60歳)2年前に仕事を長く続けていきたいと思い中小企業診断士の資格を取得し勤めていた会社を辞めたのは良かったと思う。勿論、会社在籍時代に培った知識、キャリヤ、人脈が活用できたことは言うを待たない。

 退社の翌年、おぼろげながらも将来ビジョンを描き中小企業診断士として独立した。その後、幸い60歳代、70歳代と諸先輩のお蔭により自分自身のデザインした生活を送ることができた。これからは自分ファーストということであるが、これまで通り中小企業支援、若い人材の育成に努めていきたい。但し、報酬をお布施と考え、自分自身を高めることにも時を費やしていきたい。
以上

我が人生 ~長屋勝彦~

2018/01/08
長屋 勝彦

 古代インドでは人生を学生期(~25歳)、家住期(25歳~50歳)、林住期(50歳~75歳)、遊行期(75歳~)の四つに区分しそれぞれに応じた生き方を示している。

 中国では人生を四季に例え青春(16歳~30歳前半)、朱夏(30歳前半~50歳前半)、白秋(50歳前半~60歳前半)、玄冬(60歳前半以降)と季節ごとに色をつけている。

 最近読んだ五木寛之氏の「百歳人生を生きるヒント」では人生を登山に例え、40歳代までを登山、50歳以降を下山とし50歳代、60歳代、70歳代、80歳代の生き方(下山の仕方)について説いている。

 ちなみに、50歳代は立ち止まって決断する時期、60歳代は決断を実行に移す時期、70歳代はその成果を楽しむ時期、80歳代以降は自分ファーストに生きる時期、としている。

 五木寛之氏の著書にあるように、2007年に生まれた人の平均余命は107歳であり、同氏の年齢の84歳でも100歳まで生きる確率は3%である。このことからも、同氏の説には納得性がある。

 例えば、40歳代までは自分の将来の目標、50歳代は決断する条件というように、年齢に関係なくすべての人はこれからの自分の人生を考えることは意味がある。

 翻って、自分自身を振り返ると、定年(当時60歳)2年前に仕事を長く続けていきたいと思い中小企業診断士の資格を取得し勤めていた会社を辞めたのは良かったと思う。勿論、会社在籍時代に培った知識、キャリヤ、人脈が活用できたことは言うを待たない。

 退社の翌年、おぼろげながらも将来ビジョンを描き中小企業診断士として独立した。その後、幸い60歳代、70歳代と諸先輩のお蔭により自分自身のデザインした生活を送ることができた。これからは自分ファーストということであるが、これまで通り中小企業支援、若い人材の育成に努めていきたい。但し、報酬をお布施と考え、自分自身を高めることにも時を費やしていきたい。
以上

            合縁奇縁~S社とのかかわり~長屋 勝彦            

2017/12/12
長屋 勝彦

 10余年振りにS社と仕事をすることになった。
 S社とは15年前中小企業基盤整備機構で新規事業開拓のチーフアドバイザーとして当該)社の新規事業開拓支援事業に係った。

 当時、繊維用インクジェットプリンター導入のため中小企業繊維事業団(今の中小企業基盤整備機構)の自立化支援助成金の申請についてアドバイスした。社長は業務多忙のため当該助成金の申請を断念するつもりであったが強引に申請を勧めマツ・ツー・マンの指導により申請し採択されたという経緯がある。

 その後、仲間の中小企業診断士とともに合同会社(今の産業経営研究所)を創立、その後数年間は当社の新規事業開拓支援の仕事でかかわったが仲間のE氏(技術系)が亡くなったということもあり、現在は途絶えている。

 その間も当該社の会長(社長のご尊父)とは直接仕事をすることはなかったが妙に馬が合い、年に一度は夕食後カラオケに行き遅くまで人生談義、仕事談義にふけっている。会長は小職より年配であるが豪放磊落な性格であり武勇伝をきくのが楽しみである。

 しかし今秋、企業内中小企業診断士の資格更新支援を目的に東京都中小企業診断士協会が実施する実務従事事業の指導員として当該社の企業診断に係ったことが縁で、当該社の人事評価制度の構築にあたることになった。

 人事評価制度は昨年中小企業診断協会の中小企業調査研究事業として仲間の中小企業診断士とともに助成金の交付を受け企業勤務時の経験をもとに構築したものである。

 合縁奇縁というか、継続は力なりというか、仕事の面白さを感じている昨今である。
 会長は豪胆で直感型、社長は緻密で実直型、社長の会長思いに触れるにつれて人とのほのぼのとした温かみ、人情を感じる。年の瀬には、仕事の後、忘年会という事で会長も交え仕事談義、人生談義に花を咲かせたい。
以上

~人生という旅 その2~ 長屋 勝彦

2017/04/10
長屋 勝彦

 1996年8月、34年間勤務した呉羽化学工業株式会社(現、株式会社クレハ)を退社し翌年4月に東京都中小企業診断協会に中小企業診断士登録し、開業した。

 独立して今年で20年になる。この間、多くの方と出会い多くの教訓を賜った。その中でも鮮明に記憶に残るのは、東京都中小企業診断協会中央支部(現、中央支部)長の安田平八郎先生、元日本経営協会理事岸陸朗氏、元茨城県労働経済部部長坂本達夫氏のお三方である。

 安田先生には1998年1月中小企業診断士三次試験(現在実務補習)の指導員の故、長谷川和正先生の紹介でお目にかかった。安田先生の主催する東京都中小企業診断協会マスターコースYCS(安田コンサルティングセミナー)に1期生として入会し、コンサルタントとしての実践的知識の習得から立ち振る舞い・心得、プレゼンの仕方まで多くの薫陶を受けた。印象に残る言葉として、「幸運の女神は前髪しかない」、「うかうかしないで全力でビジネスチャンスをつかめ」といったことを教わった。先生は豊富な人脈をお持ちの面倒見の良い方で、執筆、研修講師の仕事の紹介をいただいた。

 又、YCS講師として、「顧問先を獲得する方法」として登壇の機会もいただいた。そのお蔭で、現在のSKK(合同会社 産業経営研究所)岩本亨社長とも知り合い一緒に事業をすることができた。

 岸さんには中小企業診断士として登録2年目に「地方自治体向け管理者研修インストラクター養成講座」を受講した際にお目にかかった。当講座の受講動機は研修講師としスタートするにあたって、「マネジメントの体系的知識を再整理することが必要」という故、長谷川先生のアドバイスに基づくものである。

 岸さんとは研修最終日にトイレでの立ち話しで、「研修講師がしたい」という発言に対して、岸さんから「丁度、今年講師の見直しをしようと考えている、推薦しておく」ということであった。「経歴書は」という質問に対して、「喋り屋でないことがわかった。中小企業診断士であるから要らない」ということで、次の年度から日本経営協会の公務員管理者養成講座のインストラクターの仕事をすることができた。

 岸さんのおっしゃる、「単なる喋り屋」という評価を受けないということを肝に銘じ現在も、研修に、コンサルのプレゼンに当っている。

 三番目の坂本さんとは茨城県が公募している販路開拓エキスパートに応募した際のことである。応募後、部長自ら電話で新規開拓に関する様々な質問を受けた。後で考えてみると力量、考え方について面談を受けているような気がした。東京で当エキスパート事業実施機関の茨城県中小企業振興公社の方の面談を受け採用された。採用は二人(公募者数は50人以上とのこと)で、もう一方の方は商社系(三井物産)の方であった。

 当時の茨城県の地方紙に当エキスパート事業に関する記事が掲載され、同県に居住している知人から問い合わせを受けた。振興公社の仕事は5年間続いたがその間に知り合った中小企業の方とは現在も実務従事の仕事を通して付き合いをさせていただいている。又、今も一年に一度は水戸の振興公社を訪問し交友を温めている。

 その他、中小企業診断士として仕事を始めて以来、松戸商工会議所の鈴木商工部次長、中小企業基盤整備機構の上島プロジェクトリーダー等とかかわった方は枚挙に暇がないが後日改めて寄稿する。

 今後も、中央支会の発行誌「ふれあい」という言葉を大切に、交流を深めていきたい。
以上

カテゴリー:  中小企業診断士, 経営情報

中小企業診断士は仏を作ることが仕事か!

2017/02/13
長屋 勝彦

 近年、企業内診断士の方の指導員として東京都中小企業診断士協会の実務従事事業として中小企業診断を行う機会が多くなった。

 実務従事事業は中小企業診断士の登録更新の要件として診断実務が必要とされるが、大企業に勤務する中小企業診断士の方は中小企業診断の機会がなく、そのために中小企業診断協会が制定した制度である。

 数年前まではコンサルの仕事が中心であったが、より多くの中小企業の経営者の方を通して中小企業経営(中小企業経営者の経営に対する取組み)を知りたいと思うと同時に若い中小企業診断士の方と企業診断を通して若さをもらうとともに自分のこれまで診断士として得た経験を伝えたいと思うようになったからである。

 そこで、自分なりの実務従事の意義を考えた。診断先の中小企業や自分より若い診断メンバーの中小企業診断士の方に「気づきを与え、自分ももらう」ことにあるが、「それで満足してよいのか」と考える。

 実務従事事業は一過性のものでそれ以上の意味を見出すことはできない。実務従事事業を通して多くの方と知り合いいろいろな考え方を学び自分の知識、経験とすることでよいのではと考える。

 翻って、「あなたのビジョンは。」と問われれば、常に「成長意欲ある中小企業支援。」であり「成長意欲のある若い人(ビジネスマン)の支援。」と答えている。

 実務従事事業は、その意味で自分のビジョンである成長意欲のある中小企業支援とは異なる。やはり、オンリーワン企業を目指すための支援としては単なる診断・指導だけではなくメンタル面まで踏み込んだ指導が必要である。所謂、プロスポーツの世界でいうコーチという立場が相当する。

 自分の習得した経験より得たノウハウを伝えるのが自分の使命と考える。今の顧問先のコンサルが満足にできているかは別に実務従事事業を通して成長意欲のある企業と出会いかかわっていくことでできたらと思う。

 仏を作ったら魂まで入れることができる中小企業診断士でありたいと思うこの頃である。
以上

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ

2017/01/02
岩本 亨

 

あけましておめでとうございます

 

本年もよろしくお願いいたします

 

 

私が2004年まで、19年間勤務していた株式会社リクルートでは、(私の入社当時)創業者の故 江副浩正氏の考えを色濃く反映した「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓があった。

 

この言葉はリクルートOBが今でも大事にしている言葉で、独立して活躍している会社の社長の中には、実際に行動指針等としてこの言葉を採用している人もいる。私自身も折に触れ、この基準で自分の行動を振り返ってきた。

 

新年にあたって、昨年の私はどうだっただろうか・・・?と振り返ってみた。

 

昨年は独立開業して13年目、弊社を設立して10年目の年だった。独立当初はあれもやりたいこれもやりたいと色々なことに関わっていた。ところがあまりにも広範囲に関わり過ぎたために、集中できず中途半端な状況に陥る傾向が強くなってきた。

 

そこで弊社を設立するタイミングで、テーマを絞り込んだ。弊社での研修と人材育成、それから2006年より関与している企業再建・承継コンサルタント協同組合(CRC)での、事業再生・承継支援である。

 

それから10年以上が経過した。様々な困難にも直面したが、事業継続して今日に至っている。だが、最近流されている(流してしまっている?)自分に気づくことが多い。手抜きをしているつもりはないが、目先の仕事量が増加し、対処することしかできていない。仕事を量としてこなしていても成長できないのではないか?と不安を感じることもあった。この状況で新しいテーマを探すことは難しいかもしれないが、仕事の質を上げる工夫や努力をすることはできるはずである。

 

待っていても誰も与えてはくれない。まさに「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である。改めてこの言葉を今年の私の行動指針として取り組みたいと考えた次第である。