ブログリーダーシップ

 「今の若いものは甘やかされて育てられている。ちょっと厳しいことを言うとすぐしゅんとなり落ち込んでしまう。その結果、自信を失くし会社を辞めてしまう、辞められると人手不足の現在、替りはなかなか集まらない。だから、ちやほやするのではないが褒めて育てなければならない」という話を聞く。

 しかし、仕事をしていて早々うまくいくとは限らない。時には失敗をすることがある。失敗に学ぶという言葉があるがなぜ失敗したか、失敗によりどのような悪影響を周囲に与えているかを教える必要がある。そのような場合は叱る必要がある。

 叱る事は怒る事とは異なる。怒ることは怒る人の感情を怒られる人に伝えることであり、怒られる人を否定することであるが、叱ることは相手の立場に立ち失敗の原因、次に失敗しないための行動を教えること、説明することである。

 問題は、失敗をしでかした人が叱られている場合でも怒られていると勘違いすることである。研修では部下を成長させるほめ方、叱り方というテーマで演習することがある。

 要は、親が子供を教育する場合のように指導者が部下の立場に立ち部下を受容し指導する、即ち気付きを与えることが必要である。

 気付くことは考えることにより生まれるものであり、仕事について基本的なことを教えた後は一々口を出さないで部下に任せることにより部下が考え気付く場を与えることにより部下の成長を促すことが必要である。

 蛇足ではあるが部下の成長を促す褒め方とはうまくいったことを具体的に心からその場でほめることであり、叱り方とはうまくいかなかった事実に基づきその原因と対策について部下の納得のいく説明をすることである。
以上

人はほめて育てるか叱って育てるか~長屋 勝彦~

2018/02/28
長屋 勝彦

 「今の若いものは甘やかされて育てられている。ちょっと厳しいことを言うとすぐしゅんとなり落ち込んでしまう。その結果、自信を失くし会社を辞めてしまう、辞められると人手不足の現在、替りはなかなか集まらない。だから、ちやほやするのではないが褒めて育てなければならない」という話を聞く。

 しかし、仕事をしていて早々うまくいくとは限らない。時には失敗をすることがある。失敗に学ぶという言葉があるがなぜ失敗したか、失敗によりどのような悪影響を周囲に与えているかを教える必要がある。そのような場合は叱る必要がある。

 叱る事は怒る事とは異なる。怒ることは怒る人の感情を怒られる人に伝えることであり、怒られる人を否定することであるが、叱ることは相手の立場に立ち失敗の原因、次に失敗しないための行動を教えること、説明することである。

 問題は、失敗をしでかした人が叱られている場合でも怒られていると勘違いすることである。研修では部下を成長させるほめ方、叱り方というテーマで演習することがある。

 要は、親が子供を教育する場合のように指導者が部下の立場に立ち部下を受容し指導する、即ち気付きを与えることが必要である。

 気付くことは考えることにより生まれるものであり、仕事について基本的なことを教えた後は一々口を出さないで部下に任せることにより部下が考え気付く場を与えることにより部下の成長を促すことが必要である。

 蛇足ではあるが部下の成長を促す褒め方とはうまくいったことを具体的に心からその場でほめることであり、叱り方とはうまくいかなかった事実に基づきその原因と対策について部下の納得のいく説明をすることである。
以上

企業の人間的側面に関する考察~中小企業にY人間はいるのか~長屋 勝彦

2017/05/21
長屋 勝彦

毎月訪問する顧問先の中小企業でX人間、Y人間についてスピーチした。X人間は、人は怠け者である。働くのが嫌いである。働かせるには飴と鞭が必要である。一方、Y人間は、人は自己実現のためには進んで働く。働きたくなるような仕事を与える必要がある。というものである。やらされ感で働くのではなく、仕事に生きがいを持ってほしい。というマグレガ-のX理論、Y理論の話である。

 締めくくりとし仕事に生きがいとプライドを持って臨んで欲しいという言葉で締めくくった。話しの後、「人はパンのみに生きるに非ず。」と言う言葉があるが、はたして何人の中小企業で働く人がY人間として働いているかと考えた。

 今回のスピーチで言いたかったことはやらされ感で働くのではなく自発的に働いて欲しいということを従業員の方に伝えたかったのであるが、反面、経営者としては従業員をその気にさせる(働く気にさせる)施策をとっているか、経営者自身が自己中心的になり従業員をX人間化していることはないだろうか、と自問自答した。
 
 経営が苦しくなるとついつい従業員に生活面でつらい思いをさせるような方策を取らざるを得ないようなこともあるが、その時は話せばわかるという気持ちで腹をわって経営者は従業員と対峙する必要がある。

 コンサルタントは経営者から報酬を得ているが、経営者に正しいアドバイスを躊躇することがあってはならない。経営者におもねることなく客観的観点から的確なアドバイスをする必要がある。

 経営は誰のためにあるのか、それは顧客のためであり、従業員のためにあるということを改めて思った。

 従業員は言いたいことも経営者には言えない、代わって経営者にアドバイスすることが必要であるとも思うこの頃である。

以上

工夫次第でサービスは変わる

2017/02/06
岩本 亨

 

16日、早朝に東京の自宅を出発し、三重県に日帰り出張した。当地の地方銀行本部を訪問後、路線バス(三重交通グループの31番系統)で津駅に向かった。

 

席に座ってバスが発車してしばらくたった時に、車内放送で運転手さんが、「運転手の逢坂和也です」と名前を名乗り、続いて「小寒の入り、寒いので体に気を付けて新年を乗り切って」という内容のアナウンスをされた。路線バスでこのような経験は初めてだったので少し驚いた。バス停から発車する際には「着席よし!」、横断歩道があるところでは「横断歩道よし!」・・・。丁寧な案内と確認、はきはきしていて気持ちの良い対応で社内の雰囲気が明るい感じがした。

 

路線バスでのサービスなど予想も期待もしていなかったが、体験してみると、こちらの方が断然心地よい。

 

飛行機に乗ると、必ず機長が挨拶と運行状況等の説明のアナウンスをする。それが当たり前のようになっているが、路線バスの運転手さんは、イメージでは不愛想な感じである。このサービスに触れて、ちょっとした工夫でサービスの質は向上することを改めて実感した。

 

名古屋のタクシーに乗ると、ほとんどのタクシー会社の運転手さんが名前を名乗って挨拶される。私が大学生で名古屋に住んでいた頃(30数年前)は、名鉄タクシーグループの運転手さんは挨拶されていたが、他はされなかった。当時、めったに乗らないタクシーを利用する際には、まず名鉄グループのタクシーが来ないかと探した。他社の良いところから学ぶということだったのか、今は上述のように変わった。

face to face」のコミュニケーションが希薄になっている現在、このようなサービスは顧客を引き付ける上で重要な要素になっていると感じる。工夫次第でサービス変わることを実感した。

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ

2017/01/02
岩本 亨

 

あけましておめでとうございます

 

本年もよろしくお願いいたします

 

 

私が2004年まで、19年間勤務していた株式会社リクルートでは、(私の入社当時)創業者の故 江副浩正氏の考えを色濃く反映した「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓があった。

 

この言葉はリクルートOBが今でも大事にしている言葉で、独立して活躍している会社の社長の中には、実際に行動指針等としてこの言葉を採用している人もいる。私自身も折に触れ、この基準で自分の行動を振り返ってきた。

 

新年にあたって、昨年の私はどうだっただろうか・・・?と振り返ってみた。

 

昨年は独立開業して13年目、弊社を設立して10年目の年だった。独立当初はあれもやりたいこれもやりたいと色々なことに関わっていた。ところがあまりにも広範囲に関わり過ぎたために、集中できず中途半端な状況に陥る傾向が強くなってきた。

 

そこで弊社を設立するタイミングで、テーマを絞り込んだ。弊社での研修と人材育成、それから2006年より関与している企業再建・承継コンサルタント協同組合(CRC)での、事業再生・承継支援である。

 

それから10年以上が経過した。様々な困難にも直面したが、事業継続して今日に至っている。だが、最近流されている(流してしまっている?)自分に気づくことが多い。手抜きをしているつもりはないが、目先の仕事量が増加し、対処することしかできていない。仕事を量としてこなしていても成長できないのではないか?と不安を感じることもあった。この状況で新しいテーマを探すことは難しいかもしれないが、仕事の質を上げる工夫や努力をすることはできるはずである。

 

待っていても誰も与えてはくれない。まさに「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である。改めてこの言葉を今年の私の行動指針として取り組みたいと考えた次第である。

 

孫子を学ぶ私の教科書 吉田健司

2016/09/25
吉田 健司

週刊ダイヤモンドの2016年9月10日号で「孫子」の特集が組まれていた。2,500年前の中国の兵法書が世界各国でビジネスパーソンに読み継がれている。この「孫子」をビジネス書として学ぶためのテキストとして一読をお薦めしたい。私も「孫子」を愛読してきたので、今回は孫子について書きたいと思う。
私が孫子の兵法を知ったのは、武田信玄の軍旗に書かれた「風林火山」が、孫子の「はやきことは風の如く、しずかなることは林の如く、侵掠(しんりゃく)することは火の如く、動かざることは山の如し」の略と分かったときだったと思う。
「風林火山」と同様、日常生活の中には、古代中国の歴史や書籍に由来することわざなどが多い。それらは義務教育やその後の学校教育などで学んだものも多く、意識していなくても、それらを使って思考していることもあるだろう。
ただ、孫子など古典の有名な1節を学んで、思考の一助とするだけではもったいない。私は、社会人になって中国古典百語百話4孫子(村山孚著PHP研究所)を読み、多くのことを学んだ。
そして百語百話に刺激を受けて、岩波文庫の孫子(金谷治訳注)を読み、孫子の全文にふれた。原文を読むことは難しいが、読み下し文、現代文、解説を読むことで基礎的な理解は得られる。これは他の古典も同じで、岩波文庫の古代中国の古典を何年もかけて読破した。
その後は、古代中国に関する講談社学術文庫を読むようになった。その中の一冊に「孫子」(浅野裕一著)がある。冒頭の週刊ダイヤモンドの特集記事でも著者のインタビュー記事とともに取り上げられている。この「孫子」と「大学」(宇野哲人全訳注)、「易の話(易経入門書)」(金谷治)は、講談社学術文庫の中でも、特別な愛読書で、定期的に再読している。
思うに、古典を学び役立てるには、自分なりに考えてみる必要がある。自分の体験や関心事などと照らし合わせながら読むことも大切である。