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資格を持つ者の責任 【岩本 亨】

2014/11/03
岩本 亨

先日、NHKの「プロフェッショナルの流儀」を観た。紹介された山形県酒田市の歯科医 熊谷崇氏が、番組の中で「ライセンスを持つ者の責任」について話していた。

201341日付のこのブログで、国家資格「中小企業診断士」登録したばかりの人たちに、以下のメッセージを送っていることを取り上げた。

「中小企業診断士に期待されているのは、中小企業を支援することによってその会社を発展させ、ひいては日本経済の発展に貢献することです。皆さんは資格のミッションを良く認識して、自らの行動を考えてください。あなたが合格したために不合格になった方がいます。合格したあなたがミッション(使命)を果たさないのであれば、それは一種の背任行為だと私は思います。合格した人には合格した責任があります。その責任を意識して活動してください」と。

このメッセージは、「資格の学校TAC」を運営するTAC株式会社の創業者でCEOの斎藤博明氏のメッセージを参考にしたものだ。TACのホームページをのぞいてみると、以下のように紹介されている。

TACの企業理念は、“プロフェッション”としての人材の養成です。
プロフェッションprofessionとは、英語のprofess=「神の前で宣言する」を語源とし、中世ヨーロッパでは神に誓いを立てて従事する職業として、神父や法律家、会計士、医者、教師、技術者などの知識専門家を指していました。そして神の詔命によってプロフェッションとなった人々には、社会や市民に対する大きな責任と厳しい倫理観が求められました。

一方、ヨーロッパの貴族には「ノーブレスオブリージュ」という教えがある。「貴族には生まれながらにして果たすべき義務がある。貴族としてふさわしい行動を取りなさい」と言うものである。

ウィキペディアによると、ファニー・ケンブルが1837年に手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けることはしばしばである。

私自身、自分は何のためにこの「資格」を取得したのか?を折に触れ自問している。「資格」を「仕事」と置き換えることもある。その問いは、この仕事を通して、どのように世の中に貢献するのか?ということにつながる。

皆さんも秋の夜長に考えてみませんか?考えすぎると眠れなくなるかもしれませんが・・・。