ブログマーケティング

 月日のたつのは速いものである。中小企業診断士に登録して20年、診断士仲間と合同会社を設立し10年、東京都中小企業診断士協会中央支部に研究会を設立し15年がたつ。

 診断士になって故安田先生の指導をうけ、仲間の診断士と楽しく仕事をすることができた。又、会社勤務時代に指導いただいた上司の指導、人脈により有意義な仕事をすることができた。

 中でも、会社時代からかかわった鯖江の企業とは診断士として独立してからも製品開発の面からかかわることができた。その成果として中小企業庁のグローバルニッチトップ企業として選ばれ、エクセレントカンパニーにまで成長した。

 研究会の仲間の診断士の方とは診断士としての力量アップを目的として、企業診断の他、某シンクタンクの経営管理、人事労務、財務、時事問題の作成にも関わった。

 会社勤務時代に上司から、エースになるような活躍をと言われたこともあり、自分自身の中小企業診断士としての使命は時代の人材、企業の育成にあると思う。

 現在関わっている顧問先企業とは志を同じ経営者ということでお互いに意見交換をできる間柄である。

 しかし、組織として仕事を進めていくと齟齬が生じる。しかし、組織とは共通目的を持ち実現する集団という観点から十分な意見交換、コミュニケーションが必要である。

 このようなことに思いをはせていた10月初旬頃、複雑な案件も発生したこともあり、ヘルペスに罹ってしまった。ヘルペスはストレス、疲労が原因であるといわれる。幸い、回復に向かい仕事に支障はない。

 ペルペスは疱瘡を患ったものは誰ももっているといい、疲労等により現れるという。現在はなるようにしかならない、運を天に任せるわけではないが、無の心境になり自分に課された使命を果たそうと思うこの頃である。

以上

 節目の年を迎えて~長屋 勝彦~

2016/11/06
長屋 勝彦

 月日のたつのは速いものである。中小企業診断士に登録して20年、診断士仲間と合同会社を設立し10年、東京都中小企業診断士協会中央支部に研究会を設立し15年がたつ。

 診断士になって故安田先生の指導をうけ、仲間の診断士と楽しく仕事をすることができた。又、会社勤務時代に指導いただいた上司の指導、人脈により有意義な仕事をすることができた。

 中でも、会社時代からかかわった鯖江の企業とは診断士として独立してからも製品開発の面からかかわることができた。その成果として中小企業庁のグローバルニッチトップ企業として選ばれ、エクセレントカンパニーにまで成長した。

 研究会の仲間の診断士の方とは診断士としての力量アップを目的として、企業診断の他、某シンクタンクの経営管理、人事労務、財務、時事問題の作成にも関わった。

 会社勤務時代に上司から、エースになるような活躍をと言われたこともあり、自分自身の中小企業診断士としての使命は時代の人材、企業の育成にあると思う。

 現在関わっている顧問先企業とは志を同じ経営者ということでお互いに意見交換をできる間柄である。

 しかし、組織として仕事を進めていくと齟齬が生じる。しかし、組織とは共通目的を持ち実現する集団という観点から十分な意見交換、コミュニケーションが必要である。

 このようなことに思いをはせていた10月初旬頃、複雑な案件も発生したこともあり、ヘルペスに罹ってしまった。ヘルペスはストレス、疲労が原因であるといわれる。幸い、回復に向かい仕事に支障はない。

 ペルペスは疱瘡を患ったものは誰ももっているといい、疲労等により現れるという。現在はなるようにしかならない、運を天に任せるわけではないが、無の心境になり自分に課された使命を果たそうと思うこの頃である。

以上

落語修業に学ぶエクスターナルマーケティング~長屋 勝彦~

2016/05/08
長屋 勝彦

 5月連休後半の初日5月7日の朝、早朝ジョギングから帰り、いつもの習慣で何とはなしにテレビをつけた。番組の途中であったが、落語の修業により話し方を学び仕事に活用したいという商店主がプロの落語家に入門し修業する様子が目に入った。

 商店主が行った修業は話の仕方を教わるのではなく、楽屋で師匠にお茶を入れたこと、当日の高座で師匠の落語を聞いたこと、翌日師匠が贔屓にしてもらっている商店街の商店主と飲食を交え懇談したことであった。

 最初のお茶出しでは信じられないことではあるが茶碗に直接茶葉を入れお湯を注ぎ師匠にお茶を出したが、師匠から何も言われなかった。次の師匠の講座が終わったところで商店主の世話をしている弟子から、「落語では最初の入りの枕で如何に客を引き付けるかであり、そのために客受けする話を客の反応を見ながら話を切り出す。」、「客を引き付けるには枕の入りが重要であり、どのような話の切り出しをするかに苦労している。」ということを聞かされた。

 又、三番目の商店街の商店主との酒も入った懇談では「日常の暮らしをしている馴染みの商店主が普段生活して感じていること等の世間話から相手の気持ちを理解し、共感するとともに、講座の枕で使えそうな話題を探す。」、「師匠は手取り足取り落語家としての心得、話し方を教えない。芸は見て感じて自分のものにするのであり、盗むものである。そのために師匠の芸を盗み、顧客の暮らしから顧客への気持ちを理解する。」ということを言われた。

 コトラーのいう従業員の顧客に対するエクスターナルマーケティングにおいてはより高い顧客満足を得るためのホスピタリティに根ざした顧客とのコミュニケ―ションが不可欠である。単なるマニュアル通りということではなく顧客満足、高い顧客の支持を得るための日頃からの創意工夫による努力が必要である。

 落語を始めとした芸術の世界では独自の世界を築くため守破離ということがいわれるが、同様に講師課業も豊富な話術、クライアントの業務に通じた事例の設定等によりクライアントを引き付けるための絶えざる工夫が必要であると感じた。
以上

こだわりをどのように理解してもらうか?

2015/05/04
岩本 亨

島根県は私の出身地。その浜田市に石州瓦製造会社 亀谷窯業有限会社がある。縁あって、当社の代表取締役 亀谷典生氏とお話しする機会があった。石州瓦は、島根県東部(出雲市近辺)で産出される「来待石」を釉薬として使う、赤瓦である。三州瓦(愛知)、淡路瓦(兵庫)とともに日本の三大瓦の一つ。当社は昔ながらの製法にこだわり、手作り工程を残して製造している。焼成温度は他社が1,200℃程度であるのに対して、1,350℃。社長は世界一の高温焼成と自慢している。この温度で焼き上げれば、耐久性が上がるため、100年以上使っている例もある。例えば北海道檜山郡江差町の北海道本願寺派江差別院庫裏の瓦は当社製で、明治13年使用開始以来、今でも使われている。

一方で石州瓦でも大量生産の設備を持って、すべて機械生産している会社もある。手作り工程の有無と焼成温度差とにより、瓦の単価が倍近く違うとのこと。また、日本建築による家の新築が右肩下がりで減少しているため、和瓦の需要も少なくなっている。つまりマーケットが縮小する中で、高品質・高価格の和瓦で勝負をしなければならない厳しい環境におかれている。

それを打開するため、亀谷社長は、タイルや食器・雑貨の製造をし始めた。昔ながらの石州瓦の製法を応用すると、タイルもミリ単位の制度で焼成できる。釉薬の風合いも良く、タイルはリッツカールトン東京の和食店で使われ、食器は高級料亭等でも使われ始めた。中にはオーナー調理長が視察&買い付けに来る例もある。他社ではできない技術で差別化を図っている。ちなみに山口県の川棚温泉の名物「瓦そば」(最近は全国に広がっているらしいが)の瓦は、全て当社製。他社製は耐久性が低いため、すぐに割れてしまうそうだ。

亀谷社長によると、「いきなり『うちの瓦を使ってくれ』と言っても理解されない。まずは身近なものから認知してもらい、良さを分かってもらって、ファンになってもらうところから始めないと、需要開拓できない」とのこと。

創業210年(文化3年:1806年)。伝統製法にこだわり、他社が衰退して、廃業や全て機械化していく中、何とか生き延びてきた。気付くとオンリーワンの会社になっていた。その差別化できる技術を持って、発展されることを心よりお祈りしたい。

地元にこのようなこだわりの会社と社長がいらっしゃったことが非常にうれしかった。

仕事に愛があれば・・・ 【岩本 亨】

2015/04/06
岩本 亨

3月初めのNHKテレビ「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で、宮城県秋保温泉にある「主婦の店 さいち」というスーパーマーケットを紹介していた。題して「二人の約束 魂の惣菜 食品スーパー経営者/佐藤啓二・澄子」。

自家製おはぎを1日平均5,000個売る店。今までの最高は25,000個とのこと。お総菜や弁当も自家製でおいしそうだった。社長と専務のご夫妻がスーパーマーケットに業態展開し、価格競争に疲れ果て、経営危機を乗り越えてたどり着いた今の経営方針。安売り競争するのではなく、お客さんに喜んでもらえるオリジナルなものを提供すること。

先週、義父の三回忌で岩手に行く予定があったので、仙台で途中下車し、レンタカーでお店を見に行った。おはぎの棚の前には人だかりができていた。その手前に陳列されているお惣菜はみんなおいしそうで、しかも安い。個食に対応して一人分の惣菜が100円~売っている。お弁当やちらしずしも魅力的だった。

店で販売されていた「惣菜弁当の殿堂 味付けは親心、盛り付けは活け花の心得 主婦の店さいち惣菜弁当全集」という書籍を購入したが、まさに「味付けは親心、盛り付けは活け花の心得」は的を射た表現と感じた。

6億円くらいの年商の半分を惣菜で稼いでいるという。平均的なスーパーの惣菜の構成比が10%くらいなので突出している。秋保温泉周辺の商圏人口は4,000人くらい。その商圏内のお客さんだけではなく、私のように県外から買いに来る人や観光客も来店しているらしい。訪問当日も駐車場には警備員が二人いて、対応していた。県外ナンバーもちらほらあった。

おはぎを2種類、惣菜を3種類、ホタテご飯といなりずし、高菜おにぎりを購入。完全に買い過ぎだと思いつつ、近くの公園でおはぎと惣菜を頂いた。やさしい味。スーパーやデパ地下の惣菜と見た目も味も違っている。それぞれから作った人の愛が感じられた。

東京に戻って、近所のスーパーで惣菜を見たが、同じようなメニューなのに、なぜこんなに違うのだろうか?と驚いた。盛り付けにこだわらないからか全くおいしそうに見えない。だから買いたくならない。「さいち」では見た瞬間に食べたい気持ちになった。視覚から食欲の中枢に情報が伝わるような実感(?)があった。同じようなものなのに、もったいない話である。

お客さんの声を聴いてメニューや味付けに反映させる。おはぎを始めたのも、「帰省してくる孫におはぎを食べさせたいけど、家では難しくて作れない」というおばあさんの声だったという。

品質にこだわり、顧客を大事にし、価格で勝負しないけど結果的に低価格で提供している仕組みを目の当たりにして、苦境の原因を環境のせいにしている経営者に見に来て、自分の経営姿勢を振り返って欲しいと感じた。

私自身の仕事に対する取り組み姿勢についても振り返る良い機会となった。

社長のやる気スイッチはどう入ったのか? 【岩本 亨】

2015/03/02
岩本 亨

とある地方の温泉旅館。客室数は15室。ここ数年毎期赤字が続いていた。貸出している金融機関担当者A氏は、以前は頻繁に旅館を訪れ、社長に経営状況を確認したり、具体的な取り組みをアドバイスしたりしていた。しかし、いくら言ってもB社長が代わらないので半ばあきらめて、ここ5年くらいは放置していた。

最近になってB社長から「業績が上がってきたので、一度見に来て下さい」と連絡があった。A氏が半信半疑で訪問したところ、部屋はきれいになっており、露天風呂付きの部屋もできていた。「借入金の返済猶予をしていながら、隠し財産でもあったのか?」と疑心暗鬼になり問いただした。B社長は、「金が無いから、家族でできる所まで改装し、プロにしかできない箇所は引退した大工さん等を自分で探して、個別にお願いして安く対応してもらった。1年に1室ずつのペースでコツコツ進めている。旅行代理店との付き合いも一切やめ、ネットエージェントとに絞り込んだ。口コミ評価ポイントが徐々に上がってきて、それが励みになっている。」そんな答えが返ってきた。事実確認のためお忍びで泊まりに行き、深夜自分で重機を操作している社長夫妻を確認した。

A氏がB社長に、「あんなに言うことを聞かず、やる気もなさそうだったのに、何で変わったの?」と聞いたところ、B社長から「娘が大きくなるにつれ、近隣の旅館が怪しげな商売をしているのを見て『ウチも同じなの?』と思われるのが嫌だった。また、息子にやる気のない父親と見られるのも忍びないと思った。それがきっかけでとにかくできる所まで自分の力で考えて、工夫してやってみようと思った。それを続けていくとお客さんにも喜んでもらうようになった。仕事が面白くなってきて、一生懸命に取り組んでいくうちに黒字化してきた」と答えが返ってきた。

変われば変わるもので、最近はB社長から時間に関係なく電話がかかってくるようになった。先日も深夜0時過ぎに携帯が鳴った。出てみるとB社長から「先月の試算表をまとめたら、計画以上に黒字になっていたので嬉しくて電話しました!」と弾んだ声が。既に寝室にいたA氏は「嬉しいけど、深夜は勘弁して・・・」と悲鳴を上げていた。

今日聞いたばかりの「やる気になれば想像以上のことができる」という実話を披露させていただきました。いくら周りが口を酸っぱくするくらいにアドバイスしても、本人がその気にならないと変わらない。その気になりさえすれば、この例の様に劇的な変化をもたらすことも有りうる。組織の中の人の活かし方にも通ずる話ですね。